2021年に行われた東京パラリンピック。障害を抱えながらも挑戦する彼らの姿に勇気をもらった人も多いと思います。けれど、普段身近でない人にとっては、街中で障がい者と出会っても「何か手を貸したいけれど、どうしたらいいの?」と悩んでしまうこともしばしば。「迷惑かな?」とか「私じゃ何もできないから……」とコミュニケーション自体を避けてしまう人もいるのではないでしょうか?
現役のパラパワーリフティング選手として世界で活躍する山本恵理さんとお話ししながら、ダイバーシティ社会、共生社会をともに生きるヒントを探ります。
幼いころの“できない”経験が原動力に
パラパワーリフティング55キロ級選手として活躍し、日本記録保持者でもある山本恵理さん。2022年1月29日に行われる第22回全日本選手権大会の2週間前に取材させていただきました。会うだけで元気をもらえる笑顔が素敵な山本さんですが、幼少期は人見知りで何事にも自信を持てない子どもだったそう。
「私は生まれつき足が不自由でした。小学校から大学まで、いわゆる“普通の学校”に通っていましたが、移動手段が車いすなので、遠足でも先生と先に車で山頂に行くとか、体育の授業も受けられないとか、徒競走でもハンデがあるとか、なぜ私だけみんなと一緒のことができないんだろうと、周りから制限されることにモヤモヤしていました。あぁ、私は誰の役にも立てていないんだと、自信をなくすことの方が多い幼少期だったと思います」
そんな山本さんが9歳のころに出会ったのが水泳。「水害にあったとき、足が不自由なこの子が逃げられないと困る!」と親御さんが通わせたのがきっかけだったと言います。
当時の山本さんは、水が大の苦手。シャワーで髪を洗うことも嫌がるほどでしたが、親御さんやコーチを諦めさせるためには「もう溺れるしかない!」と決死の覚悟で水面に飛び込みます。ところが、幸いにも(?)溺れることなく体が勝手に浮き上がり、泳げてしまったのだとか。
今まで「できない」に抑え込まれていた山本さんの心に、泳ぎが「できた」喜びと自信が湧き上がり、毎日のように水泳教室に通い始めます。そこから2週間後、「パラリンピックに出てみない? タダで海外に行けるよ!」と誘いの声がかかり、山本さんのパラリンピックへの一歩がスタートしました。
「最初、パラリンピックと聞いた時は食べ物だと思っていたんですけど(笑)、タダで海外に行けるならやりたい! とテンションが上がっていました。その水泳スクールが、毎回パラリンピックに出場する選手を出すような名門だったので、中学生になるころには、大人のパラアスリートたちと一緒に日本選手権に同行していました。身近にスポーツと仕事を両立させている大人たちがたくさんいたのは、すごくいい経験でしたね」
パワーリフティングと仕事を両立させながら、パラリンピックを目指す
水泳でパラリンピック出場を目指し奮闘していた山本さんでしたが、高校時代にプールサイドで怪我をしてしまい、入院。自身も落ち込んでいましたが、同じ病院にいたおじいさんに「怪我をして死のうと思っていたけれど、恵理ちゃんと話してもう一回生きようと思ったよ」と声をかけられたそう。そんなうれしい一言がきっかけとなり「自分でも役に立てることがあるかも!」と、水泳選手から選手を支えるメンタルトレーナーを志すことに。
大学卒業後は、メンタルトレーナーとしてパラ水泳を支えます。もっと英語ができるようになりたいとカナダに留学した際、パラアイスホッケーに誘われ、なんとカナダ代表に選出されるほどに。そんな学業も競技も絶好調だった最中にパラリンピックの東京開催が決定。それを機に、日本へ帰国後日本財団パラスポーツサポートセンターへ就職。
そして、これまた運命的にパワーリフティングと出会い、「選手としてパラリンピックを目指せるかも……」と働きながら東京パラリンピック出場を目標に練習に打ち込みます。しかし、残念ながら出場は叶いませんでした。
「東京パラリンピックに出たい! という一心で競技を続けてきたのですが、その目標が途絶えてしまい、大きな挫折を味わいました。振り返れば無茶もしていたし、気持ちの浮き沈みもとても激しかったですね。目標としていた未来がなくなったときに思ったのは『今日という1日を積み重ねていこう、毎日を大事にしていこう』ということ。パワーリフティングは50代でも現役選手がいるんですよ。目標やゴールを設定してそこにがむしゃらに向かっていくよりも、日々を積み重ねて『よし、今日の私も前に進んでるぞ』ってポジティブに考えられるようになりました。どんな結果になるか、ご期待ください(笑)」
階段が「障害」になるかどうかは、コミュニケーション次第
今回の取材は都内のオフィスビルで行われました。山本さんはクルマで来訪。「足が不自由なのに自分で運転!? 乗り降りはどうするんだろう?」、そんなことを思った取材陣は、駐車場でお迎えすることに。
「手元にブレーキとアクセルがあるので、片手でハンドルを操作しながら、もう一方の手でアクセルとブレーキを操作しています。車いすは後ろの席にたたんで入れていて、降りる時は後ろから引っ張るように取り出して、車いすに乗り移ります。車いすも軽量化されていて、かっこいいデザインのものも増えているので、一般の方でも出し入れはしやすいと思いますよ」
ただ、駐車場からオフィスに向かう途中、私たちは思わぬ障害に出くわしました。フロアと駐車場をつなぐ3段の階段です。
たった3段で? と思われるかもしれません。
「これは車いすだけでは、無理ですね……。誰かに助けてもらわないと登れません。健常者の人にとっては当たり前のことでも、車いすの人には障害になることもあります。けれど、大人2名に助けてもらえれば登ることができますし、『別のフロアなら階段はないよ』と教えてもらえれば、駐車場内にあるエレベーターで移動することができるので、階段の障害はなくなります。事前に行く場所のことを全て調べ上げていては大変ですし、全ての場所にバリアフリーを導入するには多額な資金もかかってしまいますが、人にサポートしてもらうだけで障害はなくせるんです」
今回は、別のフロアから移動して迂回することにしましたが、普段何気なく感じている階段も、車いすにとっては大きな障害になるのだと知りました。
ちなみに、車いす対応の駐車スペースは、片側が他よりもスペースが広くなっていることをご存じでしょうか? これにはちゃんとした理由が。
車いすに乗り移る時にドアを全開にする必要があるため、スペースに余裕がないと乗り降りができないそうです。空いているからと、車いす対応の駐車スペースに停めないようにしましょう。
日本に住んでいると、健常者と障がい者の間には何か見えない壁があるような気がしてきます。この壁とは一体何なのでしょうか? 海外経験もある山本さんに、その見えない壁が生まれてしまう原因を聞いてみると、意外にも“日本人の良さ”とされてきた性質がネックとなっていたようです。