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映画『ボヘミアン・ラプソディ』で再注目!日本での人気の火付け役が解説する
QUEENの伝説と素顔

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2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』。その年の映画興行成績第1位を記録し、2019年の第91回アカデミー賞では、主演男優賞を含む最多4部門で栄冠を手にしたのも記憶に新しいのではないでしょうか。その映画がいよいよ、ブルーレイディスク/DVDとデジタル配信で登場! 映画を見逃した人だけではなく、映画館に何度も足を運んだ熱いファンも再び、『ボヘミアン・ラプソディ』の世界の虜となりそうです。

上映中に観客が大声で歌うことを許された特別上映「胸アツ応援上映」では、思い思いのコスプレでフレディといっしょに大声で歌う往年のファンが続出した一方で、リアルタイムでQUEENを知らない若年層の間でも感動を巻き起こしました。音楽、ましてやロック・ミュージックを主題とした映画のヒットは難しいという定説のなか、なぜこういった幅広い人々に支持されたのか? とくにここ日本で好評だった理由はどこにあるのか?

QUEENがまだ無名だった頃から、そのスター性に着目し、日本国内でもっとも多く、深くQUEENを取材してきた元『ミュージック・ライフ』編集長で現在は音楽ライターの東郷かおる子さんに、たっぷりと解説していただきました。

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「ボヘミアン・ラプソディ」
・2枚組ブルーレイ&DVD 4700円+税
・4K ULTRA HD + 2D ブルーレイ/2枚組 6990円+税
・DVD 3800円+税
/20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン
http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/

カリスマとして君臨した故フレディ・マーキュリー(Vo.)、ブライアン・メイ(G.)、ジョン・ディーコン(B.)、ロジャー・テイラー(Dr.)で結成された、イギリス・ロンドン出身のロックバンド、QUEEN。メンバーが出会い、瞬く間にスターダムへとのし上がっていく過程と、その後の「LIVE AID(ライブエイド)」での伝説的パフォーマンスへ至るまでの紆余曲折を感動的に描く。

 

 

QUEENとの出会い

『ミュージック・ライフ』は、シンコー・ミュージック(旧 新興音楽出版社)から1937年に流行歌の雑誌として『ミユジックライン』という名称でスタート。太平洋戦争の影響により休刊した後、1946年に『ミュージック・ライフ』(以下ML)として復刊します。QUEENがデビューした1970年代には、洋楽ロックの貴重な情報源として日本の若者の間で人気を博し、洋楽雑誌として長い間最大の発行部数を誇りました。

世界のロックとそのバンドを日本へ紹介し“ロック・ジェネレーション”のバイブルとなった『ミュージック・ライフ』。写真はQUEENが表紙となった1974年12月号。
世界のロックとそのバンドを日本へ紹介し“ロック・ジェネレーション”のバイブルとなった『ミュージック・ライフ』。写真はQUEENが表紙となった1974年12月号。

「私がMLの編集部員になったのは、ビートルズが解散した1970年です。当時はインターネットもメールもない時代。取材や情報収集に時間がかかる上、ましてや読者は音楽雑誌の情報が頼り。ロックという未知なるものに惹きつけられた、若者たちの執着心と探究心の熱量は、とても高いものでした。編集部に届く、読者からのメッセージの気迫に応えねばという、使命と責任を強く感じたものです。とにかく自分の感覚を信じ、読者の喜ぶ情報を提供できるようにと燃えていました。

1973年のある日、無名新人バンドのテスト盤として編集部に送られてきたQUEENのレコードを聞き、刺激的なギターのイントロが耳に響いたのを鮮明に覚えています。このバンドはすごいかも、と素直にそう思いました」(東郷かおる子さん)

その後、1974年3月に発売されたQUEENのデビュー・アルバム『戦慄の王女』について、東郷さんはML4月号の中で「新人らしからぬスケール」と、QUEENを大絶賛した記事を書いています。

1974年、ステージでのQUEEN。
1974年、ステージでのQUEEN。

 

そしてニューヨークで、初めてQUEENと対面することになる東郷さん。その第一印象は? また逆に、QUEENにとって「日本」とはどういった存在だったのか? 引き続き語っていただきます。