3月は「卒業」の季節。まさしく学校や職場を“卒業”する人も、久しく忘れていた人も、読書で卒業気分に浸ってみませんか?
読書量が年間1000冊を超え、毎日Twitterで読んだ本の短評を投稿し続ける読書家であり、新進の歴史小説家である谷津矢車さんによる選書です。
「卒業」に浸る5作
卒業シーズンである。
とはいえ、昨年から引き続き、新型コロナウイルスのせいで、例年と異なる様相を呈してしまいそうである。卒業式も三密を避ける工夫がなされることだろうし、会食や追いコンなどのイベントは延期あるいは中止、卒業旅行も表立ってできる空気ではあるまい。心から、今年の卒業生の皆様にはご同情申し上げる次第である。
三十四の今、ひしひしと思い知っていることだが、大人になると「卒業」の機会は滅多にないし、なかなか「卒業」の語にプラスの意味を見出しづらいところがある。大人になると、晴れがましく希望に満ち溢れたゴールはやってこず、大抵は「終わってほっとした」「重い荷物を下ろすことができた」という安堵が強かったりするのである。……って、いったいわたしは何を書いているのだ。
というわけで、今回の選書のテーマは三月らしく、「卒業」である。
1. 卒業後でも情報整理法の基礎が学べる
まずご紹介する一冊目はこちら。『歴史学で卒業論文を書くために』 (村上紀夫・著/創元社・刊)である。
卒業論文。その四文字に、大学三年生、特に人文科学系の学生さんは震えていることだろう。人文科学系の学部における最終試験であり、それゆえに大関門とされる卒業論文。本書は歴史学の研究者で大学で教鞭を執る著者が、歴史学分野での卒業論文の書き方を平易にレクチャーする本である。
こう書くと、「歴史学科の学生じゃないと読んでも意味がなさそうだし、社会人が読んでも益するところがなさそう」とお思いの方もいらっしゃることだろうがさにあらず。本書は「卒業論文を執筆する」というミッションを通じ、資料収集法や問いの構築法、スケジューリングや情報整理法の基礎をすべて一通り教えてくれる本なのである。
例えば、皆さんの中にはご自分の趣味をネタにブログを書いておられる方もいるかもしれない。あるいは、YouTubeに動画を投稿しておられる方もいるかもしれない。そういう、「何かを集めて作る」タイプの趣味、仕事をやっておられる方にはなにがしかの気づきがある本である。
そして、この選書が公開される2021年3月現在の大学三年生諸君。そろそろ、卒論に手をつけ始めた方がいいぞ、しくじると卒業できなくなるぞ、と釘を刺す意味もあって、本書を紹介する次第である。
2. 誰でも「わがこと」として読める青春小説
次にご紹介するのはこちら、『少女は卒業しない』 (朝井リョウ・著/集英社・刊) である。青春小説の旗手による真っ正面、ド直球の青春小説作品である。取り壊しの決まった高校で開かれる最後の卒業式、その日に起こった様々な人間ドラマを描いた連作短編集となっている。
それにしても――。どの短編も、読んでいて「わがこと」と読めるのが不思議なんである。
念のため断っておくが、学生時代のわたしは教室において空気のようなキャラクターで、同窓生の多くはわたしの存在を覚えておるまい。高校の時など、卒業アルバムを作ることになった際、「あれ、(ほぼ皆勤で学校に来ているはずなのに)谷津の写真がない!」と騒ぎになったくらい影が薄かった(実話)。
何が言いたいのかというと、本書に出てくるいかなる登場人物とも隔絶したパーソナリティを持つわたしでも、すべての短編を己の体験として読んでいた。登場人物たちの思いに共鳴し、「そういえばわたしも昔、こんなことがあった気がする」と己の過去を改編してしまいそうになるほどに。月並みな言葉となってしまうが、優れた作家は読者を人生の檻から解き放ち、自らの世界へと誘うものなのだ。
青春小説の名手の紡ぐ卒業式独特の風景と香りに、是非耽溺して頂きたい。
3. なぜ、日本人は卒業式で「泣く」のか?
次にご紹介するのは、『卒業式の歴史学』 (有本真紀・著/講談社・刊) である。
皆さんは、卒業式と聞いて何をイメージするだろうか。桜? 校歌? 卒業証書? 制服の第二ボタン? 本書は「涙」をとっかかりに卒業式を解剖していく。なぜ卒業式と涙は密接不可分なのか? そして、なぜ卒業式で涙を流すことをよしとされるのか? かくして、本書は日本独自の「泣き」の卒業式が誕生した経緯を追っていく。
終わりは、日常の延長でもある。卒業式の歴史を追う本書も、「卒業式」という終わりから、日本教育史を眺める一冊になっている。本書を読むと、わたしたちが「卒業」という言葉に覚えるなんとない郷愁や胸を締め付けられる気持ちの正体にも気づくことができるかもしれない。
感動すること、涙を流すこと。これらのことを冷笑するつもりはさらさらない。しかし、それらの感情の動きは高度に制度化されたセレモニーの「泣きの文法」の上に乗っかった行ないということだってある。感情は自分だけのものであると我々は認識しているが、一方で我々は制度化された感動の装置の中で生かされている。そのことに気づかされる一冊でもある。
4. 現代の学校教育からの卒業
次にご紹介する本は、ぜひ『卒業式の歴史学』と一緒に読んで欲しい。『学校、行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド』 (雨宮処凛・著/河出書房新社・刊) である。
日本の学校は、概して対面方式の一斉教授というやり方で行なわれてきた。たぶんこれをお読みの皆様も体験しているだろう。学校の先生が黒板の前に立ち、壇上から生徒に向かってものを教える指導スタイルのことである。この教授法は、よい人材を効率よく発掘するという戦前日本の方針、人材を画一的に教育するという戦後日本の方針とも合致したやり方であった。だが、一斉教授を成立させるには強烈な規律を子どもたちに強いる必要がある。結果として、そこから弾かれてしまう子どもや、逆にその方式に順応しすぎる子どもが出てきてしまう。
本書は、現代の学校制度の歪みの被害者である子どもたちのために居場所を作る大人や、現代の学校制度を変えようとしている人々、かつて学校制度の枠から弾かれた後活躍している人たちへの取材集となっている。
本書はまさしく、「これまでの教育の在り方からの卒業」を読者に提示しているのである。
5. いつまでも「卒業」したくない者たちへ
最後はこちらを。『忍者と極道』(近藤信輔・著/講談社・刊) である。
三百年に亘り忍者と極道が争っているという世界線の現代、極道の領袖である極道(きわみ)が忍者側を刺激することで一大戦争が勃発、忍者側の少年忍者(しのは)も戦いに身を投じるのだが、実はこの二人はある特定の趣味を通じた、歳の離れた友人で……。ああだめだ、このあらすじ紹介では本書の魅力が伝わらない。
本書の魅力は、反吐が出るほどに極悪な登場人物たちの狂った思考回路が高次のレベルで整合が取られていてそれがそのままキャラ立ちに直結している点、マシンガンのごとく差し込まれるルビ芸の数々、そしてシリアスとギャグの間を突く、強烈なネタの絨毯爆撃ぶりにこそある。
さて、なぜわたしは「卒業」テーマで本書を紹介せんとしているのか。それは、3〜4巻で展開された首都高速激闘篇のゆえである。色々あって緒戦を終えた極道(きわみ)は伝説の暴走族集団暴走族神(ゾクガミ)を招集し、忍者たちと戦わせるのだが、ここに出てくる暴走族神の幹部たちが実にいい。皆、色々な意味で子どもから卒業できずにいる大人の群像なのである。もちろん、破壊活動に身を染める人々の気持ちはわたしには分からない。しかし、彼らの奥底にある「卒業できない・したくない」感情に、ある種の大人は胸を掴まれるのではないだろうか。
大人になっちゃいるけれど、大人であることを投げ捨てたい、そんなあなたに。
大人になってから晴れがましい卒業はあまりない、と冒頭で書いた。うん、それは間違いない。だからこそ、大人は晴れがましい「卒業」にノスタルジアを感じる。これから卒業が控えている若人たちには、ぜひ、何の気なしに卒業気分を味わって欲しい。それが十年後、あなたの中で不思議な輝きを放っているかもしれない。ざっと言えば、これこそが人生経験と呼ばれるものの正体なのである。
Profile
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『小説 西海屋騒動』(二見書房)
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