街でよく目にする、老朽化した建物の解体工事現場。みなさんはそこで発生する大量のゴミ=産業廃棄物が、どこでどのように処理されるか、想像したことはあるでしょうか?
環境省によると、私たちが日常生活で出す一般廃棄物は年間約4500万トンで、年々減少傾向にあるのに対し、企業がモノを生産して発生する産業廃棄物は、ここ20年ほど年間4億トン前後で推移しています。分別やリサイクルには当然、お金や技術が必要ですが、ゴミにお金はかけたくないのが人間の心理。だからまとめて海や山に埋め立てる……そんな行為が、いまだ繰り返されている現実があるのです。
そんななか注目したのは、埼玉県の入間郡三芳町にある、石坂産業という産業廃棄物処理会社。主に東京など都市部から運ばれる産業廃棄物の処理を専門に請け負う同社は、ゴミのリサイクル(減量化・再資源化)率98%という驚異的な技術力で、いま世界中から注目を集めている企業です。
しかも、工場は自社で管理する里山の森に作ったサステナブルフィールド「三富今昔村」の中にあり、世界中から年間約4万人の見学者がやってくるといいます。村内にはほかにも、農園で育てたオーガニック野菜を提供するカフェレストランがあったり、バーベキューや森の散策、各種アクティビティを楽しめるスポットも豊富。週末は家族連れやアウトドア好きの来訪者で賑わうというから驚きです。
豊かな里山の森に抱かれ、世間にひらかれた産廃処理工場。従来の“産廃屋”のイメージとかけ離れた石坂産業とは、一体どんな会社なのか。「ゴミを捨てる時代は終わらせる」と、同社を約半世紀前に創業した父の思いを引き継いだ代表取締役・石坂典子さんにインタビューしました。
話を聞くのは、@Livingでおなじみのブックセラピスト、元木忍さんです。
『どんなマイナスもプラスにできる 未来教室』(PHP研究所)
産業廃棄物を処理する石坂産業の歴史と、そして本書の著者であり同社の代表取締役・石坂典子氏の仕事を紹介しながら、いまこの地球が抱えているゴミの問題や、環境問題をわかりやすく教えてくれる一冊。さらに、著者が日々廃棄物と向き合いながら蓄積してきた、よりよい明日を作るための思考や行動のヒントが読みやすい柔らかな筆致で書かれている。
ゴミを捨てる時代を終わらせる。
ダイオキシン騒動の渦中で決意したこと
「埼玉県所沢市の野菜から、高濃度のダイオキシンが検出された」。
1999年、あるニュース番組による誤報道を発端に、国民の注目を集めた騒動がありました。深刻な風評被害を受けた地元農家の怒りの矛先は当時、周辺の産廃処理業者に向けられたといいます。その矢面に立たされたのが、比較的大手だった石坂産業でした。
実際のところ、同社は報道の数年前から、多額の投資を行いダイオキシン恒久対策炉を導入していました。にも関わらず、“煙突の煙が環境を汚染している”とのイメージから、以後数年間にわたり壮絶なバッシングを受け、会社は大ピンチに陥ります。石坂さんが父のあとを継ぎ、弱冠30歳で取締役社長の座に就いたのは、まさにこのタイミングでした。
石坂典子(以下、石坂):“ゴミ屋さん”って昔からもともとイメージが悪くてね。「ゴミ屋の子どもとは遊ぶな」というような職業差別も、小さいころから当たり前のように体験しながら育ちました。だから子どものころは、自分の父親の仕事を正直恥ずかしいと思っていたし、人に言わない方がいいと思っていたくらいです。
元木忍(以下、元木):子どものころは、お父さまの仕事の内容のことをあまり知らなかったのですか?
石坂:まったく興味がなかったです。さすがに父も、産廃処理工場を女性である私に継がせようとは思っていなかったでしょうし、仕事の内容について教えられたこともありませんでした。
元木:それが、弱冠30歳にして社長になるという一大決心に至った理由とは、何だったのでしょう?
石坂:もともとネイルサロンの開業費を作るために、20歳のころ手伝い感覚でこの会社に入ったんです。当時はまだ焼却施設があったので、毎日本当にいろいろな廃棄物が運ばれてきて。例えば、大型トラックいっぱいに載せられた大量の自転車とか使い捨ての傘、高級ブランドの洋服。毎年クリスマスが終われば、赤いブーツの入れ物に入った大量のお菓子が運び込まれていましたね。そうやってまだ使えるもの、食べられるものが新品のまま、大量に廃棄される光景を毎日見ていたんです。何も知らなかった私にとって、それは驚きと違和感でしかありませんでした。
元木:仕事を手伝ううちに、この“社会のおかしさ”に気づいたということですね。
石坂:そう。そしてあのダイオキシン騒動が起きたあと、私は父から初めて、石坂産業を創業した理由を聞く機会があったんです。
元木:それが著書でもよく語られている、「ゴミを捨てる時代は終わらせないと。これからはリサイクルの時代だ」という、お父さまの言葉ですね。会社を設立した1970年代から、その先見の明を持っていらしたことが、本当に素晴らしくて感動しました。
石坂:ゴミがゴミにならない社会が必要だって話を聞いたとき、私はそのあまりにも高い志に衝撃を受けました。正直、そのころの私は経営のノウハウを持っているわけでも、重機を扱えるわけでもなかったけれど、そんな父の志を何としても継ぎたいと思ったんです。だから、自分が何とかするから社長にしてくれと頼みました。もちろん「女には無理だ」と即答されたけれど、それから2週間後くらいだったかな。突然呼び出されて、「1年だけやらせてやるからやってみろ」って。これが30歳のときでした。
嫌われ者の会社だったからこそ
自分たちの仕事の価値を可視化した
石坂産業は先の騒動を受け、数億円かけた焼却炉を廃炉にする苦渋の決断を下しました。さらに、会社をこの先の未来へと繋ぐべく、廃棄物の焼却ではなくリサイクルへと事業転換。以後は、周辺の里山の森の保護活動も始め、2013年には「三富今昔村」の運営がスタートし今に至っています。
現在の石坂産業には、主に住宅などの解体工事で発生した産業廃棄物が日々運び込まれています。分別を行う分別・分級プラントや、廃コンクリートやプラスチック、木材、有価物の再資源化を行うプラントが配置され、ゴミの減量化・再資源化率は約98%と業界最高水準。それだけではなく、プラントはすべて建物で覆うことで騒音などに配慮し、なおかつ場内は一般の見学可能とすることで地域社会との信頼関係回復にも努めてきました。この全天候型新プラントの総工費は40億円。当時の年間売り上げの2倍近い投資だったそう。
元木:従来お父さまがやってきた、ゴミを焼却する産廃処理工場のあり方と、この20年で典子さんが作ってきた全天候型プラントや三富今昔村のあり方には明らかな違いがありますが、どんな思いからチャレンジされたのですか?
石坂:私がまず取り組んだのは、自分たちの思いや考えを可視化することでした。ゴミをゴミにしない社会を目指す私たちの仕事の価値を、世間にどう伝えていくかが大事だと思ったんです。なぜなら、私たちの会社は地域社会の嫌われ者で、そもそもがかなりマイナスからのスタート。しかも、いらないものを処理する会社だから、手に取れる商品すらない。だったらまずは、誰でも見学できる全天候型プラントを作って、私たちがやっていることをすべてお見せしようと考えました。
元木:それはつまり、産業廃棄物の処理に留まらず、石坂産業のブランディングから始めるっていうことだったのですね?
石坂:そうですね。単に廃棄物の再生化率を高めるだけが、技術革新ではないと思っていました。同業他社にはない、私たち独特のものを作るにはどうすればいいか。社長になって初めて、そういった部分に目を向けるようになったんです。ほかにも周辺の里山について勉強したり、地元の歴史資料館を見に行ったりするなかで、現在の三富今昔村の構想がだんだんと見えてきました。
元木:御社はこの20年の間に、里山の保護・管理といった活動をボランティアでやってきています。そうして作り上げてきた三富今昔村の中には、石坂オーガニックファームといった農園もありますが、こうした自然環境に対する意識はもともと持っていたのですか?
石坂:社長に就任した当初は、会社の立て直しで必死だったので、環境に対する問題意識というのは、ここ10年くらいで徐々に大きくなってきたものだと思います。産業廃棄物のことを学ぶと、結局はリサイクルできない廃棄物が自然破壊を起こしているという事実に突き当たるんですよ。それでも人は、リサイクル品ではなく、枯渇性の資源、つまり自然が作ったものをいまだに重宝し、それを使い続け、再びリサイクルできない廃棄物を生み出し続けています。今は「SDGs」といった言葉も広まっているけれど、一方でSDGsを「製品を製造する」までのことだと勘違いしている製造業者さんって、本当に多いんですよ。本当に大事なのは、自分たちが販売した商品が消費者に渡ったあとどうなるのか。モノ作りにおいては、もうそこの責任が問われている時代なんです。
共通のビジョンを持てる社員と
未来に存続できる会社を作っていく
「自然と美しく生きる」をスローガンに掲げ、100年先も人と自然が共存できる社会を創ることをアイデンティティとしている、現在の石坂産業。
産廃処理会社というと、昔ながらの肉体労働のイメージが根強いですが、同社にはおのずとアウトドア好きや環境に対する意識の高い人材が集まってくるそう。新入社員には60時間の研修があり、この期間に会社の理念を学ぶことはもちろん、「自分が石坂産業で働く意味、やりがいを見つけて欲しい」と石坂さんはいいます。
元木:工場見学のときに思いましたが、社員のみなさんがすごく気持ちよく挨拶してくださるんですよね。
石坂:社員には、業界のお手本になってほしいと思っています。大前提として仕事や働くことに対する価値観って、人それぞれでいいと私は思っていて。でもうちに来るからには、私たちのビジョンに価値を感じて欲しいし、イヤイヤ働いて欲しくない。だから、なぜこの会社に入ったのか、自分の価値観に気づいてもらうために、60時間というちょっと長い研修時間を設けました。もちろん合わないと思うなら、早いうちに他社を選べといつも言っています。
元木:単純な働きやすさとか利益だけではなく、「働きがい」や「仕事への満足感」を求める……それはおそらく、お父さまの時代の産廃処理会社には生まれてこなかった価値観だと思います。でも、短期間で大きく改革をすると、現場の社員たちの意識を変えるのは難しかったのではないですか?
石坂:だから、ずっと同じことを言い続けました。国際規格ISOの導入などもしてきましたが、制度設計も一気には変えず、社員たちのレベルが上がるタイミングに合わせて、徐々に導入していった形です。
元木:でも、ある程度年齢がいっている方だと、価値観を変えるのは難しかったりしませんか?
石坂:もちろん当初は「ついていけない」と辞めていった社員もいたけれど、結局は慣れだと思っています。たとえばうちの会社では、コンビニ弁当やカップ麺など自分で出したゴミは持ち帰ってもらいます。その代わり、マイ箸とかマイどんぶりを持っていれば食堂のお弁当が安く買えたり、マイカップがある人はドリップコーヒーが飲めたりする。なぜならお客さまには「ゴミを持ち帰って」とお願いしているのに、自分たちがゴミ箱にどんどんゴミを入れていたらおかしいじゃない? そういった理由とセットで、繰り返し伝え続けました。特に大事なのは、なぜそうするのかという理由を「知って」納得してもらうことだと思っています。
プラントの環境を整え、人材を育成し……とさまざまな取り組みを行う上で、石坂社長が考える“未来に存続できる会社”とは? 続いて、これからの産業、そして企業のあるべき姿を伺いました。