空の色や風のにおいから感じる、季節のうつろい。そのときしか味わえない旬の食べ物のことや、日常のあちこちに根付く昔ながらの美しい習慣のこと。
世の中がコロナ禍に巻き込まれ2年が経過したいま、これまでの人生に対する価値観を見直し、あらためて「日々の生活」を大切に、丁寧に営もうと意識する日本人が増えているといいます。
絵本作家・漫画家としても知られるおーなり由子さんの『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』は、そんな日本で暮らす日常の豊かさを伝えている知る人ぞ知るベストセラー。これを以前から愛読していたブックセラピスト・元木忍さんが、同書の誕生秘話に迫ります。
おーなり由子『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』(新潮社)
季節のうつろいについて感じたことや、日常の小さな物語を綴ったイラストつきのエッセイを1日1ページ、366日分収録。各地の行事やお祭り、旬のレシピから季節の動植物についての知識まで、なんでもない日常にある楽しさや喜びを見つけるヒントもたっぷりと詰まっている。2006年の発売以来、新旧幅広いファンの支持を集めて着実に版を重ねるベストセラー。
いま再び見えるようになった、当たり前の日常の美しさ
元木忍さん(以下、元木):私は長年、本に関わる仕事をしていますが、コロナ禍以降、人々が読みたいと思う本の内容が変わってきたように感じているんです。そんななか個人的によく読み返すようになったのが、おーなりさんのこの本でした。今日も私物を持ってきたのですが、もう何年も読んでいるから、あちこちに付箋を貼ったり、美味しそうなレシピにマーキングしたりしています(笑)。
おーなり由子さん(以下、おーなり):ふふふ。そうでしたか、ありがとうございます。
元木:15年以上も前の本なのに、全然古さを感じません。この本を何気なくめくっていると、旬の野菜やお魚のことが書いてあったり、「小さなころこんな行事があったな」なんて思い出したりして、もっと1日1日をゆっくり大切に生きてみたくなるんですよね。これってまさに、いま多くの日本人が求めている感覚じゃないかと思って、今回は取り上げさせていただきました。だいぶ前のお仕事ではありますが、この本を作った当時の思いを聞かせてください。
おーなり:小さいときから、よく新聞とかに載っている小さな歳時記の欄を読むのが好きだったんです。たとえば、「立春」とか「啓蟄※」とかいう漢字にわくわくしたり。小学生の頃は、こういう季節の言葉があるってことを知らなくて、すごく新鮮で。季節を感じるって楽しいな、と思って。スケッチブックに絵日記を書いたりしてました。いつか、季節をテーマにした本を作ってみたいなあ、とずっと思っていたので、編集の方に打ち明けて。やっと書くことができてうれしかったです。(※けいちつ)
元木:当初から、1日ごとに絵と文を綴るという形式にしたかったんですか?
おーなり:そうなんです。毎日1ページ、という形で書きたくて。知識とか情報というより、エッセイを読みながら、その季節の感覚の中にスッと入ってもらえるような、そんな本にしたかったんです。
元木:制作は何年越しだったのでしょうか?
おーなり:実はこれを作っていた途中で子どもが生まれて、思っていたよりすごく時間がかかってしまったんです(笑)。妊娠前から始めて、産後に仕上げて……という感じで、だいたい5年くらいですね。文章や絵を描くだけでなく、書かれている事柄についての事実確認にも意外と時間がかかって。
元木:地方の小さな行事とか和菓子屋さんのお菓子、著名人の誕生日まで、なかなか幅広い情報が書いてありますものね。
おーなり:いろいろなことを書いたので、校閲の方から毎週のように質問がありました。市町村の合併が各地であった頃で、校正をしている間に街の名前が変わったり、合わせてお祭りの名前も変わっていたり。編集さんの横で赤ちゃんを抱っこしながら、調べたり、答えたりしていました。長く読んでもらえることになったので、巻末付録の二十四節気表は、10年目で更新しています。
元木:366日は順番通りに埋めていったんですか? 1日で1日分を書くとか?
おーなり:いいえ。書きたいことからです。自分でレイアウトするので、上にエッセイとイラスト、下に季節の情報を書こうと決めて、まずその「ひらがな暦」用の原稿用紙をつくってから、そのスペースに書いていきました。それぞれの季節で、食べ物の話が続いたら、次は星の話、取り上げたい記念日があるから、それにまつわる思い出を書こうとか、れんげ畑の記憶はどの日に入れよう、とか。パズルみたいに、季節を行ったり来たりしながら書いていったんです。
日常のすぐそばにある季節の楽しみ方を教えてくれる本
元木:あらためて読んで思ったのは、私たちって「本当は知っているのに忘れてしまっていること」がよくあるじゃないですか。今までは毎日があまりにも忙しすぎて、夜にお月様をゆっくり見るなんてあまりなかったけれど、最近は「今日は満月か、じゃあ空を見てみよう」って感じる余裕が出てきたというか。これって多分私だけではなく、みんなになんとなく起きている心境の変化だと思うんですよね。『ひらがな暦』に書かれているようなことの大切さ、豊かさを、今になってやっと人々が欲しがるようになってきたんじゃないかと思っていて。
おーなり:家にいる時間が増えて、すぐそばの楽しみを見つけた人が多いのかもしれないです。近すぎて何もないと思っていた足もとに、いろんな面白さがあった。というか。
当時はそんなに気負って書いたつもりはなくて。もともと日常のちょっとしたことが一番楽しいと思っているので、この本は、本当に個人的な季節の感じ方、楽しみ方を集めるように書いています。たとえば、さくらの花びらが、道の端っこにたまってたら、さわりたくなるとか。そういう(笑)。わたしが好きな、季節のかわいいものや、面白いと思うものを、読んだ方が私とは違う形で楽しんだり、ふくらましたりしてくれているとしたら、すごくうれしいです。
元木:私は気に入ったページにマーキングするだけじゃなくて、家族の誕生日とかも書き込んでしまってます(笑)。
おーなり:うれしいです。そんな風にメモしながら使ってくれたらいいなという思いもあったんです。その人の歳時記になって、繰り返し開いてもらえたら、本も幸せだと思います。
元木:お正月だけ買える花びら餅、クリスマスのガレットとか、うっかり忘れてしまいそうなことを思い出すツールとしても役立ちますよね。ほら、9月16日の「いわし雲」のページは、「いわしが食べごろ」にマーカーをしていたり(笑)。
おーなり:そうそう(笑)、この本にはそもそも、自分用に覚書をしておきたいという思いもありました。
おーなりさんが「季節をテーマにした本をつくりたい」と足掛け5年の月日をかけて仕上げた同書。その根底には、季節のうつろいを愛おしむ日本人らしい感性がありました。