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その真髄を、本当に理解できている?生みの親・やましたひでこさんが伝えたい「断捨離」の極意 前編

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社会現象ともなった「断捨離」(だんしゃり)を考案・提唱し、クラター・コンサルタントとして活躍する、やましたひでこさん。まさに「断捨離」の生みの親と言える存在に登場いただき、一般化したことでともすればブレてしまいがちな「断捨離」の本当の意味、真に心がけるべきことをうかがいました。聞き手は、@Livingでおなじみのブックセラピスト、元木 忍さんです。

 

“面倒で大変”という、思い込みを捨てること

元木 忍さん(以下・元木):やましたさんの処女作『断捨離』以来、ご著書を欠かさず読んでいますが、先日出版された新刊『モノが減ると、家事も減る 家事の断捨離』はさらに進化していてすばらしいですね。共感することがたくさんありました。

やましたひでこさん(以下・やました):ありがとうございます。でもね、私、書いたらすぐ忘れちゃうのよね。で、完成した本を見て「なんて、凄いことを書いているんだろう!」って感心しちゃう(笑)

元木:さすが。書くことに関しても「断捨離」! でもそれだけ、テーマも主義もブレていないってことですよね。そうそう、この本では、大事な箇所にはマーカーで引いたような傍線が入っていて、とってもわかりすく、要点がスイスイと頭に入ってきました。

やました:マーカーは担当編集者さんのアイデアなんです。原稿を読んだ編集者さん自身が「身につまされた」だとか、「よかった」と思った気付きの部分を強調したいと工夫してくださってね。

元木:本書と同じく、「断捨離と家事」をテーマにご講演も多くなさっています。この本でいちばん伝えたかったことは?

やました:誰にとっても、時間と空間は平等にあります。その時間と空間を使いこなす術(すべ)をいかに身につけているかが勝負なんです。過剰にモノを溜め込み、やることを抱え込むと、時間と空間を活かせません。それは家庭という場においても、同じことなんです。

元木:家庭という日常の“時間と空間”で断捨離を行うんですね?

やました:そうです。家事を“面倒で大変なこと”にしている、あらゆる“思い込み”を断捨離することが本書の目的。「断」とはなだれ込むものを断つ、「捨」とはいらないものを捨てる、「離」とは「断」と「捨」を繰り返してモノへの執着から離れること。つまり断捨離とは、自分とモノとの関係を問いただすトレーニングなんです。

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『モノが減ると、家事も減る 家事の断捨離』
大和書房 1512

やましたさん流の「朝家事」「夜家事」「週末家事」のすべてが公開された人気書籍。手間を減らすことで、身も心も軽くなって日常が驚くほどラクになること請け合いです

 

時間によって移り変わる
モノとの関係を見つめ直すこと

元木:断捨離というと、捨てればいい、と誤解している人が多いかも。

やました:まったく違うんです。まずはモノと自分との関係性を考えること。モノってね、物体そのものだけじゃないのよ。そこには時間と空間がセットで付いてくる。維持管理する「手間」と「時間」と「空間」が必ずある。

元木:モノが多ければ多いほど、空間だけでなく時間も手間も奪われるという。

やました:手間が多いと面倒でしょ? だから、モノとの関係性を常に問いただすこと。それが断捨離。モノも人間と同じで、寄り添ってほしいときにそばにいるとうれしいけれど、ひとりになりたいときに近くにいると鬱陶しいときがあるでしょ?

元木:まるで、男と女の関係みたい(笑)

やました:まったくそのとおり(笑)。今よくても10分後には心変わりしているように、その気持ちが行ったり来たりしている。これを人間でやると難しいからモノでやる。誰だって最初から、不要なモノを買っているわけじゃないの。必要だと思って買う。でも一年経ったらそうでなくなる。モノと私の関係が時間の経過とともに変化する。でもね、それを認めたくない、受け入れたくない。「こっちが好きなのに心変わりされちゃっている」ことに目をつむる。反対に、自分が心変わりしているのも後ろめたいわけ(笑)

元木:高いお金払って、ローンで買っちゃったのに「いらな〜い」とは言えませんものね。

やました:ところが、心は変わっている。それをいかに受け入れられるか。それを考えよ、と言っているのが「断捨離」なのよ。

元木:深い! とくに女性って、買い物するときに「一生モノ」と言いながら買いますね。

やました:そんなの嘘ウソ! どんなに高くたってそれはウソ。一生モノとして買っても、ウエストが入らなくなっちゃうんだから(笑)。旅行を決めるときにも「自分へのご褒美」というキャッチコピーを並べてね。高いお金を払うときに後ろめたいから、このキャッチコピーを言い訳にしているだけ。世間という他者への言い訳に過ぎない。自分が「欲しい」「行きたい」、それでいいんです。

元木:他者の価値観に惑わされて、自分を見失っている?

やました:だから、家事、家庭なんです。せめて、自分のウチの空間なんだから、せめてここだけは“自由な関係”を築きましょうよ。

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自分の大事な家が
実は嫌な空間だった!?

やました:実は、私たちの周りにあるモノはすべて使い捨てなんです。それぞれ、使える(必要としている)期間が長いか短いかの違いだけ。人間の寿命より長いモノはあるけれど、やっぱりいずれはゴミになる運命。モノって生産された時点でゴミに向かっている。使わなくなったモノをゴミ処理場に持って行くか、そのまま家に置くかの違いが、日々の暮らしに差が生み出すんです。

元木:なるほど。でも、「このソファ、もう嫌だな」と思ってもなかなか処分できません。玄関開けてリビングに入って、ソファを見ると「あ〜あ」ってテンションが下がるのに、そのままにしている(笑)。捨てて、新しいのを買ってリフレッシュすればいいのか……。

やました:モノと空間は違うと思っているかもしれないけれど、そのソファにしろなんにしろ、モノは全部空間なんですよ。

元木:え……?

やました:では、ペットボトルというモノを例にしましょう。ペットボトルは、お水の入っている空間ですよね? そのペットボトルは冷蔵庫に入れる。すると冷蔵庫はペットボトルをしまう空間になります。さらに俯瞰すると、家は冷蔵庫をしまう空間になる。つまり、すべては空間でありモノであり、モノであり空間ってことなの。もっとマクロにしていくと、自分の細胞や原子もすべてモノであり空間。だから、自分を起点にして、空間にいる自分自身をどうしていくのかが断捨離のキモなんです。

元木:モノと空間は同じことだなんて、なんだか目からウロコが落ちるようです。

やました:身体も空間です。身体にはなにが入っていると思いますか?

元木:……命ですか?

やました:そう! 命が入っている空間が身体です。となると、身体をしまう(置く)空間は家ですよね。つまり「家は命の入れモノ」となるでしょ。この家をどう扱うかが大切で、これを“断捨離の環境論”といっています。家という空間で、自分の気持ちがどうなっているのかな、って考えてみる。ご機嫌かな? それとも居心地が悪いかな? そこには時間も関わってきて。そういうふうに考えることが大切で、それは最終的には全部、人、自分が決めること。だって、おいしい食事だって、嫌いな人とは食べたくないよね?

元木:例えば、旅行もそうですよね。嫌いな人とは行きたくない。

やました:そう。“誰と”が大事なの。誰と、というのは結局は自分のこと。自分自身といかに素敵な関係をつくっていくか。この環境(家)では、自分はどんな気持ちかな? を常に考えていれば、これはいらない、こっちはいる、という判断ができるようになる。モノじゃなくて空間を意識すると、心地よくなるんです。

元木:モノへの執着をやめて、空間を考えましょうよ、ってことですね。

やました:空間軸にシフトしたうえで、モノとの関係を精査してみて。例えば、今日泊まるホテルが、自分のいつもの空間(家)と同じだとどう思う?

元木:嫌ですねぇ(笑)

やました:ね(笑)。よそから提供されたら嫌な空間なんですよ、自分の家が。でも実際は、そこで毎日を過ごしている。日常である家と、非日常であるホテル。さて、どちらの影響が大きい?

元木:間違いなく「家」ですね。

やました:ほらね。他人から提供されたら腹立つぞ、という空間を自分でつくっている。ここに気付くか否かが大切。モノ軸で考えると、捨てちゃいけない、もったいない、とっておかなくちゃ、となるけれど、空間軸で考えると、モノが必要か否かをすんなりと決められるんです。

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感覚が麻痺しているから
収納したくなる

元木:部屋にモノがあふれていると、それを収納しよう、片付けようとなります。でも「片付け」は、断捨離じゃないんですよね?

やました:はい、そこを間違えちゃダメなんです。モノを収納するためにカラーボックスを買う。このカラーボックスに散らかったモノをしまうと、いったん見えなくなってキレイになる。でも、またモノが増えると、新たなカラーボックスを手に入れる……。これを繰り返して、モノの居場所をつくるべくカラーボックスがどんどん家中に溜まっていくんです。

元木:家の空間がどんどん侵されていくという……。

やました:カラーボックスに納めたことで“片付いた気になっている”だけ。カラーボックスに納めたモノと自分とは、どういう関係なの? それに、そもそもカラーボックスはこの空間(家)に対してどういう存在なのかを考えてみて。

元木:結局……いらないモノですよね?

やました:正解。収納という行為で思考がストップしてしまう。つまり、散らかったモノは確かに、収納すれば片づいたような気になる。けれど、その収納グッズで、自分の空間がモノに乗っ取られているのに気がつかない。そう、私たちは、収納というモノの居場所作りは懸命にやるのだけど、自分の居場所をないがしろにして狭くしている。これって、おかしな話でしょう?

元木:じゃあ、どうすれば……? という答えは、この本に。収納するなら「フタを開けっぱなしにして、中身が見えるようにしなさい」が、ひとつのポイントですね。

やました:見えないと、そこになにがあるかを忘れてしまう。見たくないモノを大切にとっておいてどうするのよ? そうしてまで置いておくほど大事なの? そう問えば、たいていは「そんなことない」と気が付くんです。

元木:モノを移動しているだけなんですよね、収納って。

やました:過激な言い方をしますが、収納は“納めて忘れて殺す”という術なんです。モノと私は生きた関係じゃないと。モノ自体には命がないのだから、生命を吹き込むのは自分。しまい込んで、その存在を忘れてしまうのは、見殺しにしているのと何ら変わりがないのです。

元木:つまり、収納されているモノは“死骸”なんですね……。

やました:カラーボックスや押し入れだけじゃないですよ。冷蔵庫も同じこと。食品の墓場ですからね。

キッチンのチェストには、気に入って集めたという器が。モノを溜めないが器は大好き、とやましたさん。厳選された器の美しさが際立ち、見た目もスッキリ。器たちも生き生きとして見える
キッチンのチェストには、気に入って集めたという器が。モノを溜めないが器は大好き、とやましたさん。厳選された器の美しさが際立ち、見た目もスッキリ。器たちも生き生きとして見える
リビングのチェストにはアクセサリー類を。これまた厳選されたモノだけが整然と並ぶ。マットはタイで買い求めた。どの引き出しを開けてもスッキリとしていて、じつに気持ちがいい
リビングのチェストにはアクセサリー類を。これまた厳選されたモノだけが整然と並ぶ。マットはタイで買い求めた。どの引き出しを開けてもスッキリとしていて、じつに気持ちがいい

「収納」とはまったく異なる、「断捨離」の根本的な考え方について伺いましたが、後編ではその「断捨離」を気軽に始めるための、より実践的なお話に移ります。

Profile

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やましたひでこ (左)

早稲田大学文学部在学中に出会ったヨガの行法哲学、「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を、日常に落とし込んだ自己探訪メソッドを構築。処女作『断捨離』(マガジンハウス)をはじめ、著作・監修を含めた関連書籍は国内累計300万部を超えるミリオンセラーに。近著に『モノが減ると、家事も減る 家事の断捨離』(大和書房)、『見てわかる、断捨離 決定版』(マガジンハウス)がある。
公式HP https://yamashitahideko.com
オフィシャルブログ https://ameblo.jp/danshariblog/

ブックセラピスト / 元木 忍 (右)

brisa libreria代表取締役。卒業後、学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と一貫して出版に関わる。その後、東日本大震災を機に人生を見直し、2013年にココロとカラダを整えることをコンセプトとした「brisa libreria」を起業。訪れる人が癒される本を中心に据え、エステサロン、ヘアサロンを併設する複合サロンとして、南青山にオープンした。
http://brisa-plus.com/libreriaaoyama

 

取材・文=山﨑真由子 撮影=泉山美代子