海から陸へ上がった麗しい人魚の姉妹。街で人気のナイトクラブで美声を披露した彼女たちは、瞬く間にスターとなる。初めての舞台、初めてのタバコ、初めての恋。たくさんの“初めて”を経験しながら、少女から大人へと変わっていく――。
ポーランド発のファンタジー・ホラー映画『ゆれる人魚』。「人魚姫」をモチーフにした斬新な切り口と独特の映像美、美しくも奇妙なストーリーは、世界の映画祭で絶賛されました。メガホンをとったのは、これが長編デビューとなるアグニェシュカ・スモチンスカ監督で、このたび日本での公開を機に来日。作品を通して、ファンタジーとリアリティ、エロティックとグロテスクの共通点、少女の成長とホラージャンルの親和性について、語っていただきました。
また後半では、女性に見て欲しいホラー映画の名作を5本、紹介しています。
アグニェシュカ監督(以下、アグニェシュカ):この映画の舞台は、1980年代風ワルシャワのナイトクラブです。私は’78年生まれなので、当時はまだ子どもだったのですが、とても印象的な時代でした。劇中に出てくるようなダンシング・レストランを母が経営していまして、子どもの私は、いつもそこで過ごしていました。
きらびやかな衣装を身にまとったダンサーやミュージシャンたちのパフォーマンスを間近で眺め、客席にはさまざまな階層の人が来ていました。彼らはお酒とタバコ、料理を楽しみながら音楽を聴き、エロティックなダンスを鑑賞して、非常に独特な雰囲気に充ちていました。
――映画のなかでもクラブのシーンは魅力的ですね。エネルギッシュで猥雑で、洗練されたムードもあって、子どもの目に映る“大人の世界”そのもののような感じがしました。
アグニェシュカ:私だけでなくスタッフの多くが70年代後半生まれなので、この世代にとっての80年代のイメージがそれなのでしょうね。もともとは音楽を担当しているヴロンスキ姉妹――彼女たちは現在ポーランドで大人気のバンド“バラデ・イ・ロマンセ”のメンバーなのですが――の伝記映画として作る予定でした。彼女たちのご両親もミュージシャンで、ダンシング・レストランで演奏をしていて、よく仕事場へ連れていかれていたそうです。私と同じですね。ですが、映画化を進めるうち、妹さんの方が『あからさまに私たちの伝記として作られるのはちょっと……』と正直な気持ちを語ってくださって、それで脚本家と一緒に内容を練り直したんです。
――そこからなぜ人魚の話になったのでしょうか?
アグニェシュカ:脚本家のロベルト・ボレストのアイデアでした。「ふたりの少女を主人公にする代わりに、ふたりの人魚を主人公にした物語にしよう」と。この案には彼女たちも賛成してくれて、私も大いに刺激されました。人魚というモチーフに色々な意味を込めることができるからです。
――では、本作における人魚とはどのような存在ですか?
アグニェシュカ:アンデルセンの「人魚姫」に代表されるように、一般的な人魚のイメージというのは、美しくて儚いものですよね。ですが私たちは、人魚の中の獣の部分も盛り込もうと考えました。半分は人間の女性だけど、もう半分はクリーチャー。それは外見だけでなく中身もそうで、人魚にとって人間の男性は餌であり、彼女たちは捕食者なのです。
そして人魚とは、まだ大人へと成熟していない少女のメタファーでもあると考えました。初めての恋やセックス、様々な体験に怯えと期待を感じ、変化していく自分に戸惑う思春期の少女。大人と子どもの端境期で混乱する少女の心情を描くのに、人魚はぴったりだと思いました。
――たしかに人魚姉妹のビジュアルには、ギョッとするものがありました。上半身は美しい人間の女性なのに下半身はリアルな魚体型で、歯も鋭くてときおり牙のように変化します。
アグニェシュカ:ストーリーにファンタジックなところがある分、ビジュアル面ではリアルに作り込もうと決めました。尾びれやウロコもきちんと見せて、歯はピラニアを意識しました。見ようによってはグロテスクですが、奇妙なエロスも生まれていると思います。
――おっしゃるとおり、グロテスクとエロティックのバランスが絶妙です。本国での反応はいかがでしたか?
アグニェシュカ:実は配給会社からは、あまりグロテスクにはしないでほしい、と釘を刺されたのです。というのも、ポーランドではホラー映画の伝統というものがなくて。観客の間でも、ホラーに対する免疫というか親しみがほとんどないのです。ですから、資金を提供する会社側からしたら、あまりグロテスクな部分を強調してほしくなかったのでしょう。残酷なシーンを含めたファーストカットをお見せしたところ、「そこは削ってください」と言われてしまいました。おもしろいことに、セックス場面に関しては何も言われなかったのに(笑)。でも、その要求にはノー! と答えました。グロテスクな部分は絶対に外せなかったのです。
――それはなぜですか?
アグニェシュカ:結果論になるのですが、この映画が世界各国の映画祭で評価をされた理由は、人魚の美しい面ばかりでなくダークサイドも描いているからだったのではないでしょうか。恐怖と詩情、リアリズムとファンタジー、エロティックとグロテスク。これらの対極的な要素が混ざりあっているからこそ、独特の魅力が生まれているように思えるのです。ですので、配給会社とはけっこうなバトルをして(笑)、最終的には理解していただきました。
観客の反応ですが、予想どおりホラーが苦手な方たちからは「ショッキングだった」という声が上がりました。アメリカなどでは全く大丈夫でしたが。
――演出する上で、どんなところが難しかったですか?
アグニェシュカ:ホラーとファンタジー、エロス、暴力、さらにはミュージカルなど、いろいろなジャンルが混ざりあっているので、それらのバランスをとることが大変でした。
一番難しかったのは、ミュージカルの場面から一転して、バンドメンバー全員でテレビのニュースを観はじめるところでした。殺人事件が起きて、ふたりの人魚のうちどちらかが犯人なんじゃないか? と疑いあう展開になるのですが、各人物の目線が交錯して心理ドラマの緊迫感を醸しつつ、次の瞬間にはホラータッチになるのです。トーンがどんどん変わっていく中でいかにバランスをとるか。言い換えると、この映画独自のリズム、テンポを確立するまでに時間がかかりました。
ただ、どんなにリハーサルを重ねるよりも直感に従って撮ったテイクが一番いいということに気づいてからは、コツが掴めていきましたね。
――人魚を演じた女優たちは、どのようにして見つけたのでしょうか?
アグニェシュカ:キャスティングには一年かけて、全部で2000人くらいの女優と会いました。まず決まったのは、姉人魚シルバー役のマルタ・マズレクです。彼女は柔和で、感受性が豊かでありながら野性的な部分もあり、人間の男と恋に落ちてしまうシルバーにぴったりでした。
次に妹ゴールデン役を任せられる女優を探したのですが、候補者を17人にまで絞り、その方たちとワークショップをやったのです。“人魚の歩き方”といった課題を出したり、ずっと水の中にいた人魚が初めて陸地に上がったとき、どんな気持ちになるかを尋ねたり。身体の動きだけでなく内面にも迫る課題をたくさん与えて、参加者には難しかったと思います。そして何より大切なのは、姉妹の間のケミストリーを表現できる女優であること。最終的にミハリーナ・オルシャンスカに決まり、このワークショップでの経験を活かして彼女はみごとな人魚像を表現してくれました。
――ミュージカルになる場面がいくつかありますが、それぞれに違う演出が施されていますね。
アグニェシュカ:これは、振付担当のカヤ・コロジェイチェクさんのおかげです。クラシックバレエからアメリカのミュージカル映画、ビョークのPV、ピナ・バウシュなど、参考になりそうなダンスナンバーをたくさん探してくれました。エモーションの詰まった集団でのダンスと、ひとりだけで踊る場面の描き分けに悩みました。そしてこのようにしたのです。
みんなで踊るシーンは、その中心にいる人物の動きはシンプルで自然な感じにすること。ひとりで踊るシーンは、周囲にいる人たちを静止させること。例を挙げると前半で、お腹の空いたゴールデンが全裸で室内を歩きまわりながら歌う場面。周りの人間たちがフリーズしている中、彼女だけが動いています。あれは彼女の獣性の目覚めを意味しています。
群舞であれ、ソロであれ、それぞれのキャラクターの心情を表す曲にふさわしいダンスとなるよう意識したので、場面ごとに異なる踊り方になったのかもしれませんね。
――絵画のように美しい、あるいはおぞましい場面がたくさんあります。特に気に入っているシーンはどれでしょうか?
アグニェシュカ:難しい質問(笑)。ひとつだけ選ぶとすれば、この作品の核となる、シルバーに関するとある場面で、裸になって横たわる彼女を真上から映しているところです。視覚的にも美しく、残酷で、映画の主題そのものを表しているシーンでもあり、我ながらいい映像になっていると思います。読者のみなさんも、ぜひご覧になって探してみてください。
――本作は陸に上がった人魚姉妹の冒険物語であると同時に、少女の普遍的な成長を描いてもいます。女の子の成長を描く上で、ホラーというジャンルは相性がいいのでしょうか?
アグニェシュカ:思春期というのは人生の中でとてもエモーショナルな時期であり、恐ろしいものでもありますよね。これまでの自分ではなくなり、違う自分へと変わっていく。身体も心も変化して不安になります。例えるなら、大きなパレットの上でいろんな感情を混ぜこぜにするようなもの。そうして予想外の、自分でもぎょっとするような色彩が生まれたりもする。
この映画では、人間世界に足を踏み入れた人魚たちがさまざまなできごとに遭遇して、それによって変わってしまい混乱する感情を、グロテスクに、ファンタジックに、リリカルに、そしてリアルに描きたかったのです。
それで結果的に、彼女たちと同じ若い世代の女性にとっては真に迫る内容となっているのかもしれません。人間であれ人魚であれ、大人になるって簡単なことじゃないですものね(笑)
【作品情報】
『ゆれる人魚』
監督=アグニェシュカ・スモチンスカ
脚本=ロベルト・ボレスト
衣装=カタジーナ・レヴィンスカ
撮影監督=クバ・キヨフスキ
ペインティング=アレクサンドラ・ヴァリシェツカ
振付=カヤ・コロジェイチェク
作詞・作曲=ズザンナ・ヴロンスカ&バルバラ・ヴロンスカ
公開中
http://www.yureru-ningyo.jp/
さて次は、夜、部屋でじっくり楽しみたい、女性におすすめの名作ホラーを5本ご紹介します。