吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』が話題を呼んでいるように、昨今の出版界における新機軸ともいうべき、一連の名作のマンガ化。いま、なぜ“マンガで読む”“マンガで読み解く”がトレンドとなっているのか? 簡潔に人に伝える文章術を学べる『理科系の作文技術』をマンガ化した編集者、中央公論新社の齊藤智子さんをブックセラピストの元木 忍さんが訪ね、その背景を探りました。
老舗出版社がマンガ版にトライ
元木忍さん(以下、元木):中央公論新社さんにとって初の試みである『まんがでわかる 理科系の作文技術』。原著は40年近くも売れ続けているロングセラーですよね?
齊藤智子さん(以下、齊藤):はい。1981年に中公新書として発行しまして。著者は物理学者の木下是雄(きのしたこれお)先生で、理科系の学生やビジネスマンの方にとってのバイブルとしてずっと売れ続け、現在100万部を突破しています。
元木:すごいですね! 中公さん(中央公論新社)にとってのベストセラーですね。新書なのに作文“技術”の内容なので、少し驚きました。こんなにコンスタントに売れ続けているということは……単刀直入に訊きますが、理科系の方って、いわゆる作文が苦手なんですかね?
齊藤:元木さんが、今思い浮かべている“作文”とはおそらく、情緒的な言葉で綴られたものなのでは?
元木:まあ、作文といえばそう感じてしまいましたが……理系の作文って全然違うのですか?
齊藤:はい(笑)。文学的なものではなく、論文やビジネス文書といった「作文」を指しています。
元木:“論文”というととても難しそうですが、作文というジャンルでは文学的な作文と違いはないのでは、と感じてしまっていました。
齊藤:理系の方は、作文が苦手というよりは抵抗がある、という感じでしょうか。だからか、原著は代々、大学の先生方が「論文を書くときに役に立つから」と。
元木:それはいいですね。この本を学生さんたちに紹介してくれるんですね?
齊藤:紹介するというよりは、「お願いだから読んでおいて」といったところでしょう(笑)。おかげで毎年、新入生、新社会人の方々が読んでくださっています。
元木:それが年々積み重なって……もう37年! 電子書籍版も売れているとか。そして、満を持しての“マンガ”化なんですね!
まんがでわかる 理科系の作文技術
1296円/中央公論新社
ひたすら“明快・簡潔な表現”を追求する文章術のベストセラーをマンガ化。原著のエッセンスをギュッと詰め込み、マンガを読むだけで、的確な文章スキルが身につく。
“ビジネス書”の棚に置かれるマンガ
元木:マンガ化のきっかけとは?
齊藤:「マンガでわかる」とついた本が他社さんからいくつか出版されていて、書店でもけっこう目立つなぁ、と。しかも、マンガではあるけれど、マンガの棚ではなく、ビジネス書コーナーに置かれている。他社さんの新聞広告も頻繁に目にしまして。ほかの書籍と比べて出稿スペースが大きい。
元木:ということで、マンガ版を考えたってことですね? 本屋で平積みになっていたり、多くの宣伝費をかけているってことは売れるだろうと予測がつきますからね。ということは、マンガ版は、宣伝費をかけるほど売れる可能性があったということですものね!
齊藤:はい。従来のうちのベストセラーも、マンガにしたらイケるのでは? と思いまして……。
元木:この企画を、齊藤さんが提案されたんですね!
齊藤:いえいえ(笑)。最初は、上司との世間話の中で「今、マンガ化した本、けっこういいんですよねぇ。うちでもやったらいいのに」と思いつきをポロリ。すると、「じゃ、やってみたら」と言われて。
元木:言い出しっぺが担当する、という事態になった感じですね(笑)。驚きました?
齊藤:驚きましたよ(笑)。だって私、こうしたマンガは作ったことがなかったんです。コマ割とかわかりませんし……。でも、マンガ専門の編集プロダクションさんにご協力いただき、私自身も勉強して挑みました。
第一弾は絶対に失敗したくなかった
元木:中央公論新社には、ベストセラーがたくさんありますよね。マンガ化の第一弾としてなぜ、『理科系の作文技術』を選んだのですか?
齊藤:まずは、新書だけでなく、文庫、単行本含めるベストセラーのなかから、20〜30の作品を候補に挙げました。第一弾は“これぞ中公!”というものを出したかったので、中公新書に絞りました。
元木:緑色の表紙=中公新書といえば、すごく真面目な本ばかりで重々しいイメージ。それをマンガ化にする提案にもビックリしますけど!
齊藤:よその「まんがでわかるシリーズ」で売れているものを調査したところ、ビジネス書、ハウツーが売れている。そのなかにいろいろなジャンルがありますが、自己啓発よりもビジネスに直結して役に立つものがいいと判断しました。「そこに合致するのはなんだろう?」と営業部の人とも相談しながら、『理科系の作文技術』に決まったんです。
元木:この本に決めるまで、どのくらいの期間がかかったんですか?
齊藤:“マンガ化”というジャンルをやるかやらないか、の検討がありましたし、そうですね……3〜4カ月はかかりました。
元木:歴史ある御社のイメージからすると、「マンガはちょっとなー」という反対勢力は、実際にはあったりしたのでは?
齊藤:いえいえ、そんなことはありませんでした(笑)。以前からコミックエッセイはありますしね。でも「新書をマンガにする? そんな必要があるのか?」という意見はありました。
元木:え? なんで? どうして?
齊藤:世代の差でしょうか……。そもそも“難しいものをわかりやすくコンパクトにした”のが新書なんです。すでにわかりやすいのに、さらにマンガでわかりやすくしてどうするんだ、と。
元木:へえ、知らなかった!(笑)。難しそうなことがギュッとつまったのが新書だと思っていました。
齊藤:私も。「新書のテーマって難しい」と。でも、新書編集部やずっと新書に携わってきた方々にしてみれば「新書読めばよくない?」となる。
元木:でも、齊藤さんはそこを覆してトライしたんですね。ご自身が、新書よりもマンガのほうがわかりやすい世代で、わからない世代を説得してこの企画を通したのが凄い!! さあ、結果はいかに?
齊藤:1月25日に発売しまして、1カ月半でめでたく3刷、2万5000部になりました。
元木:パチパチパチ!! 起案して形になり、実績を上げた。すばらしいです。「ほら、間違ってなかった!」という鼻高々の気持ちでは!?
齊藤:いえいえ(笑)。でも正直、ホッとしました。この1冊だけで終わるつもりはありませんから、第二弾、第三弾と出していきたいですからね。せっかくマンガの勉強もしましたし(笑)。
相乗効果で原著の売れ行きも上昇中
元木:マンガ版とともに、原著の新書版も売れているようですね。
齊藤:Amazonのジャンル別ランキングでは、1位がマンガ版で2位が新書版ということもありましたね。相乗効果は確実にあります。
元木:マンガ版を読んで満足した人もいれば、さらに知識を深めたい、理解したいと新書版を読みはじめる人もいるでしょうね。男女比はどうですか?
齊藤:新書版は4分の3が男性です。マンガ版は半分まではいかないけれど、40%以上は女性です。女性のほうが、マンガに抵抗がないというか、視覚で理解することに慣れているのかもしれませんね。
元木:ところで、肝心なことをお聞きしたいのですが(笑)、この本のマンガ化を手掛けて、齊藤さんご自身は「作文技術」のスキルが上がりましたか?
齊藤:ふふ、上がりましたよ! もともと文章を書くことは苦手ではありませんが、理科系としての端的、的確に伝えることの大切さを知りました。「何度も推敲しろ」というのがあって、一度読んだあと、ちょっと間を置いてまた読み返す。そうすると“不必要”な部分が見えてくるんです。
それまでは、締め切りギリギリに書いて提出していたんですが、推敲のための時間が必要だと知りましたから、「早めに書かないとダメだ!」となりました。
元木:おお! 編集者自らが成長している!(笑)
齊藤:ほかにも「ナニナニだと思われる」という曖昧な表現を避けるようになりました。企画書で、つい「なんとからしい」と使ってしまうのですが、2回、3回と読み直すうちに気づくようになりましたね。私だけじゃなく、上司もそうなっています(笑)。
元木:編集者って、ややエモーショナルな文章を書きがちですものね。あと、長く書かなくちゃ、とも思いがちだから、原点に戻っている感じですね(笑)。
齊藤:そうそう(笑)。盛り上げなくていいよ、淡々と書いて。「短く書け」ともありますので。でも、「1年かけてつくりました!」なんてつらつらと伝えたくなるんですよ、どうしても。でもそれじゃダメ。企画書の読み手にしてみれば、「1年間の軌跡を読まされてもね」となることがよくわかりました。
続いて、“マンガで読み解く”なら原著は読まなくていい? シリーズの新作とは? など、まだまだ編集担当ならではの思い語りは続きます。