いまや、至るところで目にするようになった「断捨離」という言葉。最初に提唱し、著書やテレビ・雑誌などのメディアを通じて広く一般化させたのが、やましたひでこさんです。
そんな正真正銘の“生みの親”が、日々思うこととは何なのか? 日常における、断捨離にまつわる気づきをしたためたエッセーの第10回は、当サイト「アットリビング」にも関わる「リビング」という言葉がもつ意味から、部屋のあるべき姿を述懐します。
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リビングとは、生きていること
今更ながら。
リビングとは、生きていること。
だから、リビングルームとは、生きるための部屋であり、生きている部屋でなくてはならないはず。
居間とは、今(いま)
だから、居間は、今という時間が流れていなければならず、もともと、今という時間が流れているはず。
そんな視点で、住まいを眺めてみると。
散らかっているとか、整頓されているとか、
片づいていないとか、収納されているとか、
それらが、いかに近視眼的なものの見方であるかがわかる。
空間にあるものは、この三つだけ。
空間にあるものは、この三つがすべて。
空間にあるものは、この三つ以外にはなくて。
モノ
ひと
気
気とは、この場合、雰囲気の気と思えばいいだろう。
わたしのリビングは、どんな雰囲気?
あなたのリビングは、どんな雰囲気?
和やか
賑やか
それとも、
穏やか
長閑か
そう、リビングの真ん中に陣取って、どんな気なのか、あらためて感じたらいい。
けれど、その前に、もっと感じ抜かなくてはならないのはこのこと。
生気
そう、いきいきといた気が、今、リビングにあるのかどうか。
過去のモノたち、すでに用をなさなくなったモノたちが、それら過去の生活の残骸たちが、リビングのそこかしこに堆積してはいないだろうか。
その堆積の有様が、乱雑であるのか、整頓されているのか、その違いに誤魔化されてはいけない。
生きた気が、今、居間に流れているかどうか。
モノを極限まで制限したら、ミニマリズムを追求したら、殺伐とした気がそこに居座ることになりはしないか。そう、もしも、それがモノを排除する姿勢だとしたら空間の気も排他となる。
それでも、やはり、ミニマリストは少数派。私たちのほとんどは、モノの保存と保管に走る。
その走りは、どこまで無意識にも、ただしまい込んでいるだけ。
モノを取っておく
モノを留め置く
モノをしまい込む
この行為が、無意識無自覚であるならば、それは、始末の保留でしかない。つまり、始末の先送りの証拠品たちの占拠がおこる。
だとしたら、空間に漂う気は保留のそれ。
保留グッズたちが、乱雑に放置されてあれば、そこに、イライラとした気が加わり、保留グッズたちが、整然と収納されていれば、そこにウツウツとし気が混じる。
どちらにせよ、停滞の気が、低迷の気がリビンングを支配することは間違いなさそうですね。
私のダイニングリビング
さあ、畑からやって来たカボチャたち。
さて、どこに飾りましょうか。
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「生みの親・やましたひでこさんが伝えたい「断捨離」の極意 後編」
Profile
クラターコンサルタント / やましたひでこ
東京都出身、早稲田大学卒業。学生時代に出合ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を、日常の「片づけ」に落とし込んで応用提唱し、誰もが実践可能な「自己探訪メソッド」を構築した。断捨離を、人生を有機的に機能させる「行動哲学」と位置付け、空間を新陳代謝させながら新たな思考と行動を促すその提案は、年齢、性別、職業を問わず圧倒的な支持を得ている。また『新・片づけ術「断捨離」』(マガジンハウス)をはじめとするシリーズ書籍は、中国、台湾でもベストセラーを記録し、国内外累計400万部を超え、ヨーロッパ各国の言語でも翻訳されている。
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