久坂部さんが選ぶ
今を生きる大人にこそ読んでほしい、水木しげる作品 3選
世間や人間の本質に誰も気づかないような側面からアプローチし、読者に新たな気付きを与えてくれる水木しげる作品。数多くの作品のなかから、そのエッセンスを存分に感じることができるおすすめ作品を、長編・中編・短編作品のそれぞれから教えていただきました。
【長編】偉人・近藤勇に見る人間らしさ……『星をつかみそこねる男』
『劇画近藤勇 星をつかみそこねる男』(ちくま文庫)
「新選組・近藤勇の伝記漫画『星をつかみそこねる男』は、名セリフの宝庫です。例えば、近藤勇の最後のシーン。立派な偉人の最後の場面に『あるのは犬や猫と同じようになんとなく死にたくないという気持ちだけだった』というト書きが入っています。近藤勇は朝敵として悲劇の打ち首になりますが、多くの小説や漫画では、そのシーンを読者が受け入れやすいよう、美化して描かれています。それに比べて『星をつかみそこねる男』の最後は、実に人間臭さを感じます。
実際に近藤勇は、立派なことを想って死んだのかもしれないけれど、私はこれが一番合っているんじゃないかと思うんです。どんな偉人でも、犬や猫と同じように『死にたくない』という気持ちが、人間の心の奥底にあるのだと実感させられます」
※引用=『劇画近藤勇 星をつかみそこねた男』(ちくま文庫)
【中編】あるのはシビアな現実……「不思議シリーズ」第7話『我が方上記』
『妖怪博士の朝食 (1) 』収録(小学館文庫)
「『我が方丈記』は、50歳を過ぎた失業中の男のお話です。この話には、昔日本中で話題となった『清貧の思想』という本が登場します。これは贅沢だけがいいものではなく、心の清らかさでいくらでも幸せになれる、というような内容が書かれた本です。漫画のなかでは、主人公の友人であるもう一人の無職の男が『無能をカムフラージュするにはいい本だと思ってね』と、この本に関してつぶやきます。
お金持ちになる、成功するには努力しなきゃいけない。みんな苦労するわけです。でも、その努力をしない、いわゆる“無能な人”がこの本を持って、努力してお金持ちにならなくても幸せになれるという。まさに、無能をカムフラージュするのにいい本だったわけです。それも、ベストセラーに隠された一面。綺麗ゴトだけでは何も解決しない、そんなシビアな現実を端的に言い当てている作品だと思います」(引用:「妖怪博士の朝食 (1) 」小学館 収録 『我が方丈記』より)
【短編】人が求める幸福のありかとは……『錬金術』
『水木しげる漫画大全集』第64巻収録(講談社)
「『水木しげる漫画大全集』の第64巻は、『ガロ』の掲載作品が集められたおすすめの一冊です。この頃の短編作品は、水木さんの魅力を存分に感じることができる作品ばかりで、私が一生涯、水木作品に惹かれ続ける理由の一つにもなっています。
なかでも『錬金術』は、とりわけ有名な作品。これは、錬金術にのめり込んだ両親と、一人息子・三太のお話です。両親は、ねずみ男の指導の元、猫の頭を金に変える錬金術を行い、失敗を繰り返します。いつまでも金にならない錬金術に精を出す両親に疑問を抱いた三太は、ねずみ男に『これ以上両親を惑わすのはやめてほしい』と頼みます。
それに対してねずみ男が『錬金術は金を作り出すことではなく、猫の頭が金になるかもしれないという希望が幸せなのだ』、『人生はそれでいいんだ』というのです。
みなさんも、お金持ちになりたい、成功したい、あるいは世の中の役に立ちたいといった理想を持って、頑張って生きていると思います。ですが、そう思っていることがすでに幸せなんだ、結果は出なくてもいいんだ、と。この解釈は新鮮で、すごくショックを受けました。人生とは、幸せとは何かを考えさせるお話です」
久坂部さんが水木漫画に登場!?
パプアニューギニアでの水木しげる氏との出会い
水木氏と作品の魅力を広く語ってくれた久坂部さんは、ファンとして、水木氏と交流をしたことがあるといいます。最後に、その時のエピソードを語っていただきました。
「今から28年前、私は外務省の医務官として、パプアニューギニアで働いていました。その時、水木さんがパプアニューギニアにやって来るという情報を聞きつけ、空港に駆けつけたんです。そしたら薄暗いパプアニューギニアの空港に先生がいらっしゃって。喜びのあまり先生に話しかけました。水木さんは、優しく、サービス精神旺盛に応対してくださって。乗り継ぎまでの1時間ほど、お話させていただきました。
いよいよ先生が出発されるという時に、同行されていた次女の悦子さんに、先生が『写真を撮ってくれ』って言ったんです。わたしはカメラを持っていなかったし、写真を撮るつもりもなかったのですが、先生からファンの私と写真を撮りたいというのは、予想外ですよね。普通はファンがアイドルに写真をお願いするのに……(笑)。
なかなかないシチュエーションだったので『あれはいったい何だったんだろう』と、後々まで印象に残っていたんです。そしたら、10年後ぐらいにたまたま手に取った先生の漫画に、私らしきキャラクターが登場していたんです! そのキャラクターは、若い頃の私にそっくりでした。
水木先生の作品には、有名人や政治家が登場することも多いんですけど、先生が現地でお世話になった日本人とか、ニューギニア人とか、名もなき人たちもよく登場します。その一貫として、私が登場したことに本当に驚きましたし、ファンの1人として本当にうれしく思っています」
自分だけの『冴えてる一言』を見つけて、
水木しげる作品をより楽しむ
久坂部さんは、2022年2月に『冴えてる一言 水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる』を刊行。水木しげる作品にちりばめられた「冴えている一言」を、作品の魅力とともに紹介しています。
「水木さんの『冴えてる一言』をまとめてみようと思ったのは、京極夏彦さんとの対談がきっかけでした。京極さんは、水木しげる漫画大全集を編集されていたのですが、その頃たまたま知り合い、とある企画で対談させていただきました。話をしながら、お互いが思っている水木さんの素晴らしさがどんどん出てきまして……。そのときに喋ったことも含め、自分が感動した、水木作品の冴えてるとしかいいようのない一言について、まとめてみようと思いウェブ連載を始めました。
本書は、ウェブの連載で紹介した内容を、あらためてまとめた一冊です。生誕100年というこの年に、水木さんの魅力を多くの人に知ってほしいと思い刊行しました。水木作品を、漫画として純粋に楽しんで読んでもらえればそれだけでうれしいのですが、本書に取り上げたような“非常に冴えた一言”が、各作品に紛れ込んでいます。その一言を自分で見つけるように読んでもらえれば、もっと楽しめると思います」
Profile
小説家・医師 / 久坂部 羊
1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。2014年には、小説『悪医』で、第3回日本医療小説大賞を受賞。
協力=水木プロダクション(https://www.mizukipro.com/)
取材・文=室井美優(Playce)