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安倍晴明の意外な実像も。「陰陽師」とは
いったい何者なのか?

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映画や小説、漫画などに数多く登場し、現代でもその名が知られる「陰陽師(おんみょうじ)」。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が登場すると発表され、再び陰陽師へ注目が集まっています。

そんななか、国立歴史民俗博物館では、企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が開催。陰陽師の実態に迫るこの企画展示の開催を機に、陰陽師の考え方や生き方、陰陽師が時代を超えて親しまれている理由、そしてこの展示会の見どころなどを、国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一教授に伺いました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館。

最新の研究成果をもとに
陰陽師の実態に迫る企画展示

2023年12月10日まで国立歴史民俗博物館で開催されている「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」は、陰陽師の歴史をたどりながら、そこから育まれた文化に迫る企画展示。これから学会で発表されるような最新の研究資料も展示されており、陰陽道や陰陽師、そして陰陽師がつくり続けてきた「暦」に関する文化を知る、貴重な内容となっています。

展示室内部。

本展示は、共同研究の成果の一部を一般向けに広く発信するというもの。「展示に向けての調査研究には、5年以上もの月日を費やした」と話すのは、本展示プロジェクトの代表を務める国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一さんです。

「本企画展示は、確かな史資料のもと、さまざまな側面から陰陽師のリアルな姿を探る内容です。映画や小説、漫画などを通して、陰陽師の存在を知っている人は多いと思いますが、本物の陰陽師がどういう存在だったのかはあまり知られていません。ですので、展示を通して実際の陰陽師の姿を感じ取ってもらえたらと思います」(国立歴史民俗博物館 研究部・小池淳一教授、以下同)

お話を伺った国立歴史民俗博物館・研究部の小池淳一教授。

平安京で活躍する陰陽師の姿

本展示は3部構成。第1部の「陰陽師のあしあと」では、古代から近世にいたるまでの陰陽道と陰陽師の歴史を紐解いていきます。

そもそも陰陽道とは、古代中国から伝わった陰陽五行説や道教などの知識をもとに生まれたもの。8世紀には、日本の律令国家成立とともに「陰陽寮」という役所が設置され、そこに所属する占い師として「陰陽師」が誕生しました。陰陽師は、天文や暦に関する書物や道具を研究。その知識は、方位や時間の吉凶に関する占いやまじないだけでなく、祈祷や暦づくりなど、さまざまな場面で活用されるようになっていきます。

安倍晴明が活躍した平安時代には、陰陽師は貴族社会にとってなくてはならない存在に。本企画展示では、その様子がわかる資料が多く展示されています。

「御堂関白記」(複製) 寛弘四年〔原品の年代〕 国立歴史民俗博物館所蔵(原品:公益財団法人陽明文庫所蔵)。

「この資料は、『御堂関白記』という藤原道長が記した日記帳です。上部に日付が書かれていて、2行ほど空いたスペースがあるのがわかると思いますが、道長はこの空いている部分に日記を書いています。平安貴族が使うこうした暦をつくることは、陰陽師の仕事のひとつでした。

赤字も陰陽師が書いたもので、暦注と呼ばれるものです。時間と方角を占った結果を記載して、『この日はこの方角に気を付けてくださいね』といったような内容を伝えています。平安貴族がどのように暦と付き合っていたのかよくわかる資料ですが、よく考えてみると、私たちもカレンダーや日記帳に予定やその日あったことを書き込んでいますよね。今と変わらない文化がこの時代からあったということも、この資料からわかると思います」

お坊さんの姿をした陰陽師も。
日本各所で活躍する、中世以降の陰陽師

メディアのイメージから、陰陽師は平安時代に活躍した存在であると認識している人も多いかもしれません。しかし実際は、陰陽師の活躍の場が広がったのは中世以降なのだといいます。

「武士の世の中になると、貴族だけでなく幕府をつくった武士たちも政治を行うなかで陰陽道を取り入れるようになっていきます。それは、平安京にしか仕事がなかった陰陽師にとってはありがたいことでした。戦国時代になると、日本各地で活躍する陰陽師の姿が見られるようになります」

全国に広がりを見せる陰陽師のなかには、官人でも民間でもない新しい陰陽師の姿も見受けられます。それが、九州で活躍した宇佐の陰陽師です。

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期、大楠神社蔵。

「大分県に宇佐神宮(八幡宇佐宮)という神社がありますが、その地域でも古くから陰陽師がいたということが研究のなかでわかってきました。宇佐の陰陽師の興味深い点は、お坊さんの姿をしているところです。陰陽師がなぜ僧の姿をしているのか、それは大きな問いかけであり今後もさらに研究を進めるべき分野でもあります」

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期 大楠神社蔵。一部抜粋。大楠の下に座る僧形の人物が陰陽師だ。

宇佐の陰陽師は、宇佐宮とその周辺地域における神事や仏事に参加し、占いやお祓いなどを行っていました。このような、地域社会に根ざして活動を行う陰陽師が他の地域にも存在していたという事実も確認されています。平安京で活躍していた陰陽師とは異なる陰陽師の姿を知ることで、”陰陽師のリアル”に近づくことができるはずです。

装束にまじない書……
陰陽師が使用した仕事道具とは

時代によってその役割が変容していく陰陽師ですが、その中には「占い」「祭祀」「まじない」「暦日と方位(時間と空間の吉凶を予測すること)」といった、共通する仕事内容がありました。展示では、こうした陰陽師の仕事で使用された道具や書物なども数多く展示されています。

「烏帽子」「装束(袴・帯等)」 江戸時代ヵ 国立歴史民俗博物館所蔵。年代は不確定だが近世から、奈良の暦師・陰陽師であった吉川家に伝えられてきた装束や烏帽子も展示されている。

実際に、陰陽師がまじない書を参考にして、まじないを行っていたことを示す資料も残されています。

「こちらは、栃木県で出土した呪符が描かれた土器(かわらけ)です。陰陽師がまじないのために土器に呪符を描いて土に埋めたものなのですが、その文様や円の形が愛知県の陰陽師に伝えられてきたまじないの書物の内容と同じではないか、ということがわかってきました。同様事例が各地の遺跡からも発掘されていることから、こうしたまじないが日本各地で広がりを見せ、実際に行われていたという痕跡をたどることができるのです」

「呪符かわらけ」16世紀頃 栃木県立博物館所蔵。

「盤法まじない書」(行法救呪) 大永5年写 豊根村教育委員会所蔵。栃木県で出土した「呪符かわらけ」と同様の文様が書かれていることがわかる。

では、日本で一番有名な陰陽師、安倍晴明とは実際どんな人物だったのでしょうか? さらなる陰陽師の知られざる姿に迫っていきます。