CULTURE 人・本・カルチャー

シェア

石庭の鑑賞には、冬がぴったりだった。京都の寺院に広がる、
「枯山水」の世界

TAG

3.絵画の原案として画家に作られた枯山水

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院、退蔵院は、1404年に建立された、同寺塔頭寺院のなかでも古刹です。応仁の乱では妙心寺とともに炎上しましたが、1597年に亀年禅師によって再建され、今に至ります。応仁の乱ののちに建てられた方丈は、江戸時代には剣豪・宮本武蔵が禅と剣の道に精神的な共通点を見出し、ここで修行に励んだとされています。

国宝「瓢鮎図」を所蔵している。(※写真は複製。※特別な許可を得て撮影しています)
国宝「瓢鮎図」を所蔵している。(※写真は複製。※特別な許可を得て撮影しています)

広大な敷地には枯山水のほかに池泉回遊式庭園や茶席も設けられています。

池泉回遊式庭園の中心にある池は、瓢鮎図を所蔵する寺らしく「ひょうたん池」と名付けられている。
池泉回遊式庭園の中心にある池は、瓢鮎図を所蔵する寺らしく「ひょうたん池」と名付けられている。
こんなところにも、ひょうたんとなまず。
こんなところにも、ひょうたんとなまず。

ここで最初に鑑賞したい庭が、枯山水「元信の庭(もとのぶのにわ)」。室町時代の絵師・狩野元信によって作庭されたと伝わっており、龍安寺など抽象的な庭に比べて、絵画的でわかりやすい構造が特徴です。
20200116_atliving_sekitei_023
亀島、鶴島、三尊石、蓬来島と、代表的な石組を詰め込んだともいえる、豪快で華麗な庭です。こうして窓から少し下がって見てみると、まるで絵画のよう。

※通常、方丈は非公開。特別な許可を得て撮影しています
築山の奥に滝に見立てた立石を置き、青みがかった栗石を敷いて渓流を表現。
築山の奥に滝に見立てた立石を置き、青みがかった栗石を敷いて渓流を表現。
中央には亀島と、鶴が水を飲んでいる姿を表した鶴島を配置。不老不死など未来永劫変わらない繁栄を願った。
中央には亀島と、鶴が水を飲んでいる姿を表した鶴島を配置。不老不死など未来永劫変わらない繁栄を願った。
背後には竹藪を配しています。風が吹くと竹がそよぎ鳴らすさらさらという音を、水の音としたのだそう。(※以上3枚の写真は特別な許可を得て撮影しています)
背後には竹藪を配しています。風が吹くと竹がそよぎ鳴らすさらさらという音を、水の音としたのだそう。(※以上3枚の写真は特別な許可を得て撮影しています)

画家は通常、景色をみながら絵を描きますが、元信は風景を想像しながら妙心寺で襖絵を描き、それを元に、実際の庭を構築しました。現代人は、桜や紅葉など、季節ごとの移り変わりを楽しみますが、かつては“不変の美”が尊ばれたため、木々は松ややぶ椿、槇などすべて常緑樹で構成されており、その季節によって様相が変わらない点も、絵と同様です。

 

【豆知識】石庭の砂はなぜ白い?

退蔵院には、ほかにも個性的な石庭があります。白砂と黒っぽい砂を敷いた「陰陽の庭」です。
20200116_atliving_sekitei_027
そう、砂は白、と必ずしも決まっているわけではありません。退蔵院の副住職・松山大耕(まつやまだいこう)さんによると、赤っぽい砂や青っぽい砂を使った庭も存在するそう。
ただ、白砂は実用的な意味合いもあります。昔は電気がなかったため、夜の明かりは月明かりだけ。お堂の前に白砂を撒いておけば、月光を反射して部屋が明るくなったのです。

 

【豆知識】枯山水の砂紋は、どうやって作っている?

水のない枯山水において、水を表現しているのが白砂に描かれる砂紋です。触っても冷たい水はないけれど、この模様があるからこそ、水を“感じる”ことができるわけです。
この砂紋は、専用の熊手で引いています。作業する人やその日の気分によっても、引き具合は変わってくるとか。また、雪が積もった日は、いつもより砂紋がくっきり見えるため、曲がっていると目立ってしまうそう。松山副住職に、実際に引いて見せていただきました。

ヒノキ製の砂熊手を使って奥から手前に引いていく。この熊手の素材は、鉄や竹などさまざまあり、それぞれの庭の特徴に合わせて特注で作られているという。呼び名も「砂熊手」のほか「レーキ」とも。
ヒノキ製の砂熊手を使って奥から手前に引いていく。この熊手の素材は、鉄や竹などさまざまあり、それぞれの庭の特徴に合わせて特注で作られているという。呼び名も「砂熊手」のほか「レーキ」とも。

妙心寺 退蔵院

京都市右京区花園妙心寺町35
075-463-2855
http://www.taizoin.com/

 

4.日本人の宗教観をも表す公家の庭

延暦年間(782~806)に最澄によって、比叡の地に創建されたのが曼殊院(まんしゅいん)です。現在は、曼殊院門跡と呼ばれています。“門跡(もんぜき)”とは、天皇や親王など、皇族の関係者が出家し住職を務めたお寺のこと。ここは1656年に、桂離宮を創始した八条宮智仁親王の皇子・良尚法親王が入寺し、門跡寺院となりました。

大書院から庭越しに小書院を臨む。屋根は、桂離宮と同様に、雁が重なるように飛んでいく姿を表しているという。
大書院から庭越しに小書院を臨む。屋根は、桂離宮と同様に、雁が重なるように飛んでいく姿を表しているという。

桂離宮を完成させたといわれる兄の智忠親王のアドバイスを受けて建設され、細い柱に薄い屋根、軽快ささえ感じさせる“数寄屋風書院造り”で、「桂離宮の新御殿」や「西本願寺の黒書院」と並び、当時の朝廷文化をしのばせます。とくに、書院の釘隠しや引き手、欄間などが桂離宮と共通しており、曼殊院は「小さな桂離宮」と呼ばれているのです。

その庭は、五葉松を中心にした枯山水。
20200116_atliving_sekitei_030
寺院の庭とも武家の庭とも違う“公家好みの庭”という点で、曼殊院は特徴だっています。庭の奥に立っている石で滝を表現し、そこから小川が流れ出てやがて大海に注ぐ、という風景を表現。書院=娑婆から出て大海=白砂を渡り、築山=悟りを開いたひとがたどり着く蓬莱山へ向かう旅路を表しているのだそう。

奥の築山に立つ大きな石。大海の源流となる滝に見立てている。
奥の築山に立つ大きな石。大海の源流となる滝に見立てている。

「とある宗教学者の先生が、京都のお寺に来ると、仏様を拝むよりも外の庭を眺めている時間のほうが長い、それは外の世界に神仏の“気配”を感じているのではないか、日本人は“信じる宗教”ではなく“感じる宗教”を持っている、とおっしゃっていました。庭も、そういった“生命”を感じる場所なのだと思います」と、執事長の松景崇誓(まつかげしゅうせい)さんは話します。

“八百万の神”といって、自然のなかにどこでも神仏を感じる日本人の宗教観をも、この枯山水から感じ取ることができそうです。

曼殊院門跡

京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
075-781-5010
https://www.manshuinmonzeki.jp/

 

最後のふたつのお寺は、通常時非公開。そのレアな枯山水を見てみましょう。